無響室の暴力
「学生運動の後、大学の広場をなくすためにこの木を植えたんだよ。今住んでいる三鷹寮にも学生が集まれるようなスペースがない、集まれないような作りになっている。」
南米からの留学生が、その大木の前の教室で言った。
彼だけだった、明示的に暴力について語ったのは。
まだ誰か、覚えているだろうか。
次の暴力がどのように展開するのか、私たちはまだ誰も、分かっていない。
現実的に展開されたあり方は、起こった後にしか知り得ない。
問題は、これまでの暴力のあり方から次の暴力の有り様を理解し得ないことだ。
『Civil War』はアメリカがアメリカに振るう暴力を理解し、かなりの精巧さで劇化することができた。
その政府は明示的な力の権力であり続けてきたし、彼らには黙示録というScriptもある。
オランダはそれなりに治安の良いリベラルな国でありながら、同時に非合法的、非民主的なエネルギーを発散させる装置も内包しており、統合されようのなさそうな重奏する揺れ幅の中でこそ民主的であり続けてきた。
少なくとも、何かがおかしくなりかけている時にはその発散的な、demonstrativeな騒動で知ることができる。農家はトラクターで国会周辺に押し寄せ、コロナで鬱屈した若者が暴れた場所はもう少し離れたSchilderswijkで、サッカーフーリガンは反移民デモを暴徒化させる。
だが、「多くの日本人」は、もうずっと生身の暴力の発露を見かけていない。
言葉の暴力は余りある。
気配と制度に圧迫される、非物理的暴力による人間の物理的・非物理的損壊は至る所にある。
人が直に手をくだす暴力は、あまりに清潔になった公共空間から排除され、私的な空間に潜んだ。
物理的暴力の公共的現れは、最後に見たのはいつのことだったか。
かつて社会の構造的変化を政治体が吸収できず人々に押し寄せた時、近世末からのあの時期に、今の日本の人々の祖先としての彼らは確かに物理的暴力を振るった。
形式化していた一揆などの行動が規範から外れ、溢れ出すそれは、時に祝祭的ですらあった。
日比谷で暴徒化し、関東大震災で官民の手による大虐殺を引き起こし、侵略と戦時暴力の担い手となり、敗戦後いくつもの闘争を引き起こし、80年代には校内暴力が頂点に達した。
近代日本ではある時点まで、戦争の後に民主化が進む傾向があった。暴力の後の民主化である。第一次世界大戦後の大正デモクラシーと普通選挙制、アジア・太平洋戦争後の日本の民主化、冷戦後90年代の政界再編。
ただ、今から見ているのは、その後の民主的動きを困難にするような暴力であろう。
極めて治安の良い国になった、女性や少数者以外にとっては。
思想が消えてゆく。
生身の力の振るい方を忘れた。
Communityやresistanceを形成する力も乏しい。
暴力への抵抗は暴力的だと責められて消えてゆく。
思想が消えた世界で、暴力を暴力と名指すことができない。
既に暴力の中にいることに、人々は気づいていない。
この成功したディストピア世界では、暴力の音色は無響室のように吸われてしまう。
そこでは、音をまだ聴ける者だけが幸いである。
その声を聴くことが、抗いである。
聴かれれば、残響する。




日々の会話ですら、底抜けに冷たいです。暴力の中にいるなと、そういう時に感じます。
「この成功したディストピア世界では、暴力の音色は無響室のように吸われてしまう」
美しく、しかし冷たく響く言葉ですね。残響も体温もない世界を自分たちは望んでいるわけではないはずなのに、、、
なかったものとすることに、多大な努力をするのどはなく、その努力に比べればほんの少しでよいので、音が、声があるかもしれないと耳を澄ますことに意識を向ければ、感覚も、意識も、考えも、そして行動も変わると思うのですが、、、圧倒的な吸音と静寂には負け戦ばかり続いています。
研ぎ澄まされた音のようなポスト、読ませていただきありがとうございます!