手にしたはずのものを、自分の足で踏みつける仕草をし続ける。
それが、女としてあの場所に行き着いた者に求められる社会的儀礼なのだ。
日本人の前では自分の学歴を極力隠している、と言うと欧州人には仰天される。
だって、それがどれほど面倒を引き起こすか分かっているので、自分から曝け出したりするものか。
合格して東京に行くことを話した時、あけすけな反感と侮蔑に染まっていった他校の友人たちの顔は忘れられない。私がこの先どのような仕草をしていくべきなのかを、最初に教えてくれた。
居酒屋でバイトをしていた頃、誰かが三田の某私立出身の客に私がどこで学んでいるかをバラした。偏差値的に近いからそれは余計に言っちゃダメだ。彼の怨念が私に向けられてしまうではないか。酔いを醒ましてしまったようで、言外の意図を含んだ冷たい顔で、なぜ居酒屋なんかでバイトしているのか、ねちねち問いただされた。
ある派遣会社は、そのままだと通りにくいと考えて、私の学歴を隠して派遣先に出していた。それは多分法律違反だからやっちゃダメだ。それもあってすぐにその派遣先を辞めた。
ある女性教官は、研究室の飲み会で、末席の私にも誰にでも分け隔てなく軽やかにお酌をしてまわり、ご自身はあまり飲んでいないようだった。男子学生が「自分では飲まずに注ぎに来るから断れない」とぼやいていたが、ちょっと待ってほしい。たとえばオクスフォードで女性教授が学部生にお酌をするとか、想像しづらいだろう?
お酌は日本の飲み会文化の一部で、教授が注ぐことは勿論あるが、同じようにみんなにしっかり注いでまわる男性教官を見たことがないし、どちらかというと彼は注がれる側だ。
ご本人に聞く機会がなかったので分からないが、それは総合職で就職できるようになった女性が強いられて、もしくは生存戦略としてお茶汲みを続けるのに近いものだったのではないかと思う。その女性教官は、若い頃に大学の先輩に殴られて歯を折られたことがある。
あまり差別や怨念を感じずに生きていきやすい場所もあることはあるが、限られていて、特に上の年代だと男性化して生き延びる姿も見かける。そういう場所を選ばなければ、私のような目に遭うことになるし、例え第一人者になっても生存戦略を完全に忘れてはいけない。
女子比率は私の頃からほぼ変わらず、最近ようやく20%を超えた。女性教授の割合はさらに低い。
だから、そんなところに行かずに、有名女子大なんかに行くのが「賢い」のであって、そんなところに行くのは「ばか」なのだという(これは、本当にそう言われた)。
そうすればそんな思いはせずに済み、一般職で採用されやすいし、インカレテニスサークルにも除外さずに入れる。
これはインターカレッジサークルの略なのだが、同じ大学の女性が入れるインカレテニスサークルは数個程度しかなく、インカレテニスサークルには同じ大学の女性は入れないのがスタンダードで、このグロテスクさは今も続いている。近代化のためのエリート供給の場として作られ、今もその地位を維持している大学でのあからさまな差別である。将来のエリートとして法律を学びながらインカレに同じ大学の女性は入れない。
現実には同じ大学内での交際や結婚はいくらでもあるのだけれど、そういうところはまだ変わっていない。
とっくに気付かれたと思うが、私はここまで一度もその大学名を固有名詞として挙げていない。
それがずっと私の日本語での生き方だったので、それ以外の方法でよどみなく書くのは難しい。
それに、名を挙げずに書いた方が、自分の足で踏みつける仕草の証左になるだろう。
ちなみに私がその大学に行くことになった経緯はというと、大学で県外に出るための選択肢が実質2つほどしかなかった。田舎から進学する者のハードルである。古都か新都かで、若かったので新しい方にした。
前回の記事でも書いたように、私の出身は北陸の女性流出県である。皮肉なことに、そういう環境から逃れるために来た場所で、今度は手にしたものを踏みつける仕草を続ける羽目になった。
そしてもう1つ、気付いた人がいるかもしれないが、である調で書いている。
この書き方をしていると、脳内が男っぽいと言われたりすることがある。その分野の第一人者の方でも、論文はである調で書きつつ、一般向けの文章だと女性のですます調にがらっと変わるのを見たことがある。
だから余計に、この書き方に関して性別は本来関係ないはずので、特に今回はわざとそうしている。
私は結局、日本そのものから離れて、日本人女性の仮面を外して生きるようになったので、その意味ではほっとしているし、そうでなければこうして書くことも難しかった気がする。東洋の片隅の大学のことなど誰も知らない社会は、気が楽だ。
しかも今思えば、当時としては運よく、この文章の文脈においても優れた先生に恵まれて、結構楽しく卒論を書けて、感謝している。
かつて文系エリートの頂点だったその法学部は進学希望者が減り、優秀な人やお金のある人は最初から海外の大学を目指すか、もしくはこの大学を海外の大学へ行くための足場にするようになった。
このままだと日本と一緒に没落していきそうな気配なので、そこの大学でしか学べないことがあるか師事したい先生がいるかでもなければ、若い人には無理にそこを選ぶことはないよと伝えたい。少なくとも、あなたは絶対に悪くない。
そして同じことを、あの頃の私にも。
生来のものなり、自ら獲得したものなり、女性が「世を忍ぶ仮の姿」で生きなくて済むような世の中は一体いつ来るのだろうかと思うと気が遠くなる思いがするが、例えば、
この記事の個々のエピソードを、イギリスのような皮肉が効いたNetflixドラマにでもして、私達が心の底から笑えるようになる時が来れば、日本でも何かが変わるのかもしれない。
なかなか道のりは遠そうである。
(こちらも「である調」で書いてみました!)
本筋からはずれますが、サングラスをかけて歩いていただけで、「moineauさん、すごい堂々と歩いてたね!」と(男性に)言われたことがあるけど、あれは、下向いて、一休さんみたいに橋の端でも歩けば良かったんですかね?